熟女のマジック

9時1分前にシャッターを上げるのは”庶務”の仕事。

 

「毎朝9時1分前にお願いね。ここのボタンで正面が開いて・・・」

 

 

なるべく早瀬君の顔を見ずに説明した。

 

一通り開け終えたら、すぐさまお客様が店内に流れてきた。

 

 

世間はゴールデンウイーク中だし、今日も忙しそう。

 

 

 

私の席は、正面入口前。

 

 

正面入口にはATMが20台設置されていて、そこからお客がどんどん入ってくる。

 

番号札制度をなぜか廃止した当店は、私のところにお客が集中する。

 

 

廃止したことによって、リピーターが増えてお客ウケがよくなった上、業務成績も向上したらしいのだけれど、私は納得行かない。

 

 

非効率的だと思う。

 

 

 

世の中、自分の考えが全て正しい訳じゃない。

 

それでも納得いかないと思うことは多く。

 

 

今年で25才。

 

 

諦めることと、長いものに巻かれるのも時には必要なんだと悟ってきた今日この頃。

 

 

 

「いらっしゃいませ」

 

 

早瀬君の声が後ろから聞こえてきた。

 

 

早瀬君の席は私の真後ろで、森田さんの隣の席だ。

 

 

 

私と彼の距離は。

 

私と彼のデスクの距離は。

 

 

私が座っていたら、人が何とか通れる程で、重鎮なら、少しお腹を引っ込めて歩く必要がある。

 

 

なんだか、落ち着かない。真後ろから見られるのって。

 

 

見られているかどうかもわからないのに、私は自意識過剰なのかと自問自答をする。

 

 

こうして、今日も一日が始まった。

 

**********

 

 

仕事ができて俺様で、おまけにどS。

 

プライベートは、恋人だけに溺甘な鬼上司。

 

 

 

そんな異次元な人物なんて、この職場には存在しない。

 

 

そのかわり、アイドル社員が存在するのだ。

 

 

「モリクニさん」

 

そう私を慕ってくる彼女の名前は、蒼井仁菜(アオイニナ)

 

 

"ふたぎん"のテーマカラーの黄緑色を主とした、この迷惑な色の制服が、彼女ほど似合う人物はこの世に存在しないのではないだろうか。

 

 

鎖骨辺りまでの長さのウェービーヘアを、小さな黄色いリボンの付いたゴムで一つに束ねている。

 

 

白い肌。

 

愛くるしい瞳。

 

細く長い手足。

 

 

テレビで見ない日はない、どこぞのアイドル集団にいたら、確実に浮いてしまうほどの美貌。

 

 

 

偶像たる由縁は見た目だけにあらず。

 

 

彼女は生まれ持った美貌に加え、愛想がよく、人当たりがいい。

 

 

なんと言っても、笑顔がいい。

 

 

 

仕事熱心だが、ときどきビックリするようなミスをやらかす、愛されキャラなのだ。

 

 

あくが強いパート社員たちも彼女がお気に入りだ。

 

支店長以下、男性社員も無論気に入らないはずがない。
特筆すべき点はこれだけではない。

 

彼女の営業能力は、うだつの上がらない渉外係より、よっぽど長けているのだ。

 

 

今、カウンター越しに彼女とやりとりしている、常連のコンビニ経営者(55才男性)も、蒼井マジックの虜の一人だ。

 

 

大量の硬貨を両替に来るコンビニ経営者。

 

彼女の足元にあらかじめ準備されていた硬貨の山を、よいしょよいしょと重そうに(実際かなりの重さだ)持ち上げている彼女に。

 

 

「そっちに行って持ち上げてあげようか?」

 

 

見えもしないのに、カウンターに身をのりだしながら軽い冗談を言う。

 

 

「お願いします」

 

 

彼女は、笑顔でそう切り返すのだ。

 

 

 

ーーと。

 

私の隣で、伝票にペタペタと【桜通り支店】のゴム印をひたすら押していた、新人の早瀬くんが彼女の足元の硬貨をヒョイヒョイもちあげ、カウンターの上に並べた。

 

 

いつの間に。

 

 

ただの金持ちのボンボンかと思っていたが、そうではないらしい。

 

 

彼の評価が1ポイント上がった。

 

 

 

「この子新人?」

 

「そうなんです、今日からなんです。よろしくお願いしますね」

 

「よろしくお願いします」

 

 

彼女に続いて会釈をしながらそう言った彼に、蒼井さんは小さく「ありがとう」と囁いた。